紀州手漉き和紙 保田紙
紀州手漉き和紙「保田紙」は、紀州徳川家初代藩主 徳川頼宣公の命を受けて本格的な生産が始まった350年以上の歴史をもつ和歌山県を代表する手漉き和紙です。
「体験交流工房わらし」では、紀州手漉き和紙「保田紙」の伝統を継承し、手漉き和紙の製造の他、便箋、葉書、封筒、団扇をはじめとした保田紙関連の商品や地元高齢者の方々がわらや布で作った草履なども販売しています。
和歌山県知事指定郷土伝統工芸品(昭和63年指定)
和歌山県優良県産品(プレミア和歌山)推奨品
紀州手漉き和紙 保田紙のストーリー
紀州手漉き和紙 保田紙のはじまり
紀州徳川初代藩主・徳川頼宣公がお国入りと同時に、藩内での製紙業を求めました。
その折に山保田組の大庄屋であった笠松左太夫が命を受け、大和吉野郡へ見学に行くが、その製法は教えてもらえませんでした。
そこで、村の美男子3人を吉野へ潜入させたところ、数年の内にそれぞれ3人の紙漉き女工を連れ帰ったのです。これが「保田紙」の始まりとなりました。
約360年前に3軒から始まった紙造りは、一時、400もの漉き屋が軒を連ねたと言います。
隆盛と衰退、そして復興
当初、紀州藩御用紙として納められていた保田紙は、和傘やうちわに用いられるようになりました。
大正、昭和初期に生産の最盛期を迎えますが、次第にその勢いにはかげりが見え始めます。
洋傘の普及や昭和28年の大水害により、昭和40年代には、ついに廃絶してしまったのです。
しかし、昭和54年1月、高齢者生産活動センター(現在は『体験交流工房わらし』)開業と同時に「保田紙」は復興され、現在に至ります。
作り方・製品
保田紙の原料は、楮(こうぞ、地元ではかんごとも言います)です。
トロロ葵から抽出した糊を混ぜ、漉き簀で漉き上げたものを紙板に一枚一枚貼り付けて、天日乾燥させます。
保田紙は、昔ながらの製法で作られる手漉き和紙なのです。
現在は、様々な製品開発も行われています。手漉き和紙も各種あり、他には、色和紙、葉書、便箋、封筒、名刺、一筆箋、短冊などを製品化しています。
体験
体験交流工房わらしでは、紙すきやうちわ作り、わら草履作りなど気軽にできる各種体験メニューをご用意しています。世界に一つだけのオリジナル和紙やうちわ、草履を作ってみませんか。ぜひとも体験交流工房わらしにお越しいただき、手漉き和紙 保田紙のあたたかさ、丈夫さを感じてください。
体験交流工房わらしの詳細については、「体験交流工房わらし」のページをご覧ください。